本記事では、表現内容規制・表現内容中立規制とは何か、また、判例・用いられる審査基準について解説します。
表現内容規制・表現内容中立規制とは?
・表現内容規制=ある表現について、それが伝達するメッセージを根拠に行う規制
・表現内容中立規制=特定の時・場所・手段における表現の規制
私たちには憲法第21条により「表現の自由」が保障されており、これによって、自由に表現活動を行うことができます。
しかしながら、いくら表現の自由が重要な人権だからといって、それが無制限に保障されるわけではありません。
すなわち、表現の自由といえども、その限界が生じる場合があります。
例えば、違法行為を扇動するような表現活動を野放しにしておけば、国全体が混乱してしまうかもしれません。
また、病院の近くにおいて街宣を行えば、患者の病気が悪化してしまうかもしれません。
このように、あらゆる表現を一切の自由としてしまえば、その表現活動のせいで「実害」の発生・発生の恐れがある場合がでてきます。
そこで、政府は、表現活動の事後的な規制を行うことがあります。
つまり、「実害」の発生・発生の恐れを根拠に、実際に行われた表現活動に対する規制を課す場合があるのです。
ところが、このような規制は、当然、表現の自由に対する制約となるものであり、どこまでの制約であれば許されるのか(合憲なのか)は必ずしもわかりません。
そこで、表現の事後的規制について、表現内容規制と表現内容中立規制に二分して検討することとします。
まず、表現内容規制とは、ある表現について、それが伝達するメッセージを根拠に行う規制のことです。
例えば、他者の名誉を棄損する表現活動を規制する場合がこれにあたります。
一方、表現内容中立規制とは、ある表現の時・場所・方法を根拠に行う規制のことです。
ある表現が行われた時・場所・方法を根拠に規制を行うわけですから、その表現内容を根拠に規制を行うわけではありません。
例えば、病院の近くにおいて表現活動を禁止する場合がこれにあたります。
では、表現内容規制・表現内容中立規制には、具体的にそれぞれどのようなものが含まれるのでしょうか。
表現内容規制
表現内容規制とは、ある表現について、それが伝達するメッセージを根拠に制限を行う規制のことです。
これには、名誉毀損表現やプライバシーを侵害表現、わいせつ表現にかかる規制などがあてはまります。
名誉毀損表現
まず、表現内容規制のうち、名誉棄損表現にかかる規制が挙げられます。
日本においては、名誉毀損表現について、憲法・刑法・民法のそれぞれにおいて、その保護が図られています。
・憲法による保障:憲法第13条
・刑法による保障:刑法第230条
・民法による保障【不法行為責任】:民法第710条・723条
一方、戦後に制定された刑法第230条の2においては、表現の自由の観点から、公共性が高い表現については名誉毀損罪に問われないこととなっています。
具体的には、以下の①~③を満たした場合には、刑事責任に問われません。
①公共の利害に関する事実
②公益を図る目的
③真実性の証明
このように、名誉棄損表現からの手厚い保護がある一方で、刑法第230条の2の制定により一定の緩和がなされ、「名誉毀損からの保護」と「表現の自由」の調整が図られています。
プライバシー侵害表現
また、表現内容規制には、プライバシー侵害表現にかかる規制も含まれます。
この場合、「プライバシーの保護」と「表現の自由」の調整については、基本的には名誉棄損表現と同じです。
ただし、③の真実性は免責事由になりません。
なぜなら、あるプライバシー侵害表現が真実であるとなれば、より一層、被害が深刻化するからです。
わいせつ表現
他にも、わいせつ表現の規制は表現内容規制にあたります。
刑法第175条には、わいせつ文書等の頒布罪が規定されています。
これにより「性秩序の維持」という目的が達成できる一方で、この目的自体が曖昧であることが問題として指摘されています。
また、わいせつ性の判断は「社会通念」によるものの、それはあくまでも裁判官の判断によることとなるため、表現の自由の観点から問題であるとの批判もなされます。
表現内容中立規制
表現内容中立規制とは、ある表現の時・場所・方法を根拠に行う規制のことです。
表現内容規制とは違い、表現内容に着目した規制ではありません。
これについて、具体的には、以下の3つの規制が挙げられます。
交通秩序のための規制
まず、表現内容中立規制に含まれるものとして、交通秩序のための規制が挙げられます。
これについては、交通秩序を維持するため街頭演説を許可制にしたことが、表現の自由の観点から問題ではないかということが争われた、街頭演説許可制事件が有名です。
これについて最高裁は、時・場所・方法に着目した制約は合理的に制約が可能であるとして、規制は合憲であるとの判決を下しています(最判昭和35・3・3)。
しかし、交通秩序の維持であれば届出制で足りることなどから、この判決には批判がなされています。
他者の財産権のための規制
また、表現内容中立規制として、他者の財産権を根拠にした制約が挙げられます。
この事例としては、私鉄の駅構内でビラを配布したことが罪に問われた、吉祥寺駅事件があります。
これについて最高裁は、「憲法21条1項は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであつて、たとえ思想を外部に発表するための手段であつても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは許されないといわなければならない」として、他者の財産権を根拠とした規制が合憲だという立場をとりました(最判昭和59・12・18)。
美観・静謐な環境のための規制
第三に、美観・静謐な環境のための規制が挙げられます。
美観のための規制とは、各地方公共団体が制定する屋外広告物条例などがこれにあたります。
また、静謐な環境のための規制とは、各地方公共団体が制定する騒音防止条例などがこれにあたります。
このような環境を根拠にした規制が、表現内容中立規制にあたります。
合憲性の審査基準
・表現内容規制:最も厳格な審査基準
・表現内容中立規制:中間的な審査基準
では、表現内容規制・表現内容中立規制には、それぞれどのような審査基準があてはまるのでしょうか。
まず、表現内容規制については、最も厳格な審査基準が用いられるべきでしょう。
具体的には、いわゆる「厳格審査基準」や「明白かつ現在の危険のテスト」がこれに含まれます。
一方、表現内容中立規制については、中間的な審査基準が用いられるべきでしょう。
具体的には、いわゆる「厳格な合理性の審査基準(中間審査基準)」や「LRAの基準」がこれにあたります。
(※LRAの基準については、別記事で詳しく解説しています。)
では、なぜ、表現内容規制と表現内容中立規制の合憲性の判断基準に差があるのでしょうか。
審査基準の根拠
表現内容規制において、最も厳格な審査基準が用いられるべき理由として、まず、「思想の自由市場論」が根拠として挙げられます。
思想の自由市場とは、各人の表現が対立し議論がなされる場合には、結果的に真理だけが残り、その真理に基づいて社会が進歩するという考え方です。
逆に言えば、真理でない表現は淘汰されていきます。
ですから、政府が表現内容について判断する資格はなく、表現内容に基づく規制の審査は厳格であるべきといえるわけです。
また、表現内容規制を安易に認めた場合、公権力による濫用の危険性があるため、その合憲性の判断はより厳格になされるべきだといえます。
一方、表現内容中立規制とは、表現行為の規制とはいえ、あくまでも特定の時・場所・手段を根拠とした規制です。
ですから、他の時・場所・手段によれば表現行為自体は可能であり、表現内容に着目した規制よりも、侵害の程度は低いといえます。
ですから、表現内容中立規制については、厳格審査程ではないものの、表現の自由の制約であることから合理性の審査では足りず、中間的な審査基準が用いられるべきだといえます。
まとめ
・表現内容規制=ある表現について、それが伝達するメッセージを根拠に制限を行う規制
→最も厳格な審査基準
・表現内容中立規制=特定の時・場所・手段における表現の規制
→中間的な審査基準