比較衡量・利益衡量とは何か?わかりやすく解説【憲法訴訟】

憲法訴訟
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訴訟においては、よく「比較衡量」や「利益衡量」といった手法が用いられることがあります。

では、比較衡量や利益衡量とはいったい何なのでしょうか。

本記事では、前半で法律学一般で用いられる比較衡量・利益衡量について解説したうえで、後半で憲法訴訟で用いられる比較衡量・利益衡量についてより詳しく見ていきます。

比較衡量・利益衡量とは何か?

対立する当事者の権利・利益を天秤にかけて、どちらがより重いかを判断する手法のこと。

まず、「比較衡量」や「利益衡量」といった言葉についてですが、これらはほぼ同じ意味で使われています。

また、「衡量」という言葉を使わずに、「考量」や「衡量」という漢字が用いられることもありますが、これらはすべて同じ意味だと考えていただいて構いません。

(本記事においては、以後「比較衡量」という言葉で統一します。)

では、比較衡量とはいったいどのような手法なのでしょうか。

一言でいうと、対立する当事者の権利・利益を天秤にかけて、どちらがより重いかを判断する手法のことです。

簡単な例を挙げてみましょう。

例えば、Aさんが、A自身の権利や利益を、Bさんによって侵されているとして、Bさんを訴訟で訴えたとします。

しかし、Bさんも、自身の権利・利益を主張し、結局、AさんもBさんもお互いに、自分の主張を譲りませんでした。

さて、この時に、裁判所が用いる手法の一つに「比較衡量」があります。

比較衡量とは、繰り返しになりますが、「対立する当事者の権利・利益を天秤にかけて、どちらがより重いかを判断する手法のこと」です。

ですから、Aさんの権利・利益Bさんの権利・利益を天秤にかけ、どちらの権利・利益がより重いかを裁判所は考えるのです。

そして、より権利・利益が重い方の主張を認めるというのが、比較衡量のやり方です。

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憲法訴訟において用いられる比較衡量

ここまでは、法律学一般における比較衡量のお話でした。

ここからは、憲法訴訟において、どのように比較衡量が行われるのかについて検討していきます。

憲法訴訟における比較衡量

まず、「憲法訴訟」であるということは、基本的には、国家が個人の権利・利益を侵害しているということが前提となります。

ですから、憲法訴訟において比較衡量が用いられる場合は、「人権の制約を行うことによって得られる国家的利益」と「人権の制約によって失われる利益」を天秤にかけることとなります。

もっと簡単に言えば、「人権を制約することで得られる国家的利益」と「人権」のどちらが重いかな?ということを検討することになります。

そして、どちらが重いかによって、違憲審査の結論(すなわち合憲なのか・違憲なのか)が決まることとなります。

一つ、簡単な例を挙げてみましょう。

名誉棄損的な表現について比較衡量をする場面をイメージしてしてみてください。

まず、私たちには、憲法によって「表現の自由」という人権が保障されています。

これにより、私たちは、「自己実現」や「自己統治」といった、表現の自由の目的を果たすことができます。

しかし、「名誉を棄損するような表現を規制する法令」によって、私たちの「表現の自由」は制約されています。

名誉棄損的な表現を規制する法令については、民法や刑法に規定がありますよね。

では、比較衡量をするとなると、どのような利益が天秤にかけられるのでしょうか。

まず、これらの法令で人権の制約を行うことによって得られる国家的利益は、個人の名誉権や社会において名誉が広く尊重されることが挙げられます。

一方、これらの法令によって失われる人権には、表現の自由の価値が挙げられます。

したがって、名誉棄損的な表現について比較衡量をする場面では、個人の名誉権や社会において名誉が広く尊重されること表現の自由の価値が天秤にかけられ、当該法令は合憲か・違憲かが検討されることになるわけです。

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比較衡量法の問題点

裁判所でもたびたび用いられる比較衡量法ですが、問題点も存在します。

どのような問題点があるのか、ひとつひとつ見ていきましょう。

「人権」の価値の軽視

まず、第一の問題点として、「人権」の価値の軽視が挙げられます。

すなわち、天秤にかけられた「人権の制約によって失われる利益」が軽視されるのではないかという問題です。

どういうことでしょうか。丁寧に説明していきます。

まず、先ほども述べた通り、憲法訴訟において比較衡量が用いられる場合は、「人権の制約を行うことによって得られる国家的利益」と「人権の制約によって失われる利益」が天秤にかけられます。

この場合、人権の制約によって得られるのは国家的な利益ですから、かなり大きな利益だといえます。

もしかしたら、何百人・何千人・何万人…の利益となるかもしれません。

一方、人権の制約によって失われるのは、たかが数人・数十人の利益です。

そうであるとすれば、必然的に、「人権の制約を行うことによって得られる国家的利益」のほうが、「人権の制約によって失われる利益」よりも重く見られてしまうという危険性があります。

この問題点を解決するため(すなわち「人権」の価値を重くするため)の一つの手法として、審査基準論を用いて比較衡量を枠づける方法があります。(審査基準論についての詳しい解説は、こちらの記事をご覧ください。)また、定義づけ衡量用いることで、初めから人権の価値を重くした状態での比較衡量が用いられる方法も考えられます。

比較衡量法の根拠の不明確さ

また、第二の問題点として、比較衡量法の根拠が不明確であるということが挙げられます。

どういうことかといえば、まず、問題となっている利益がどのように特定されているのかがよくわかりません。

訴訟においては、当事者双方が主張するあらゆる利益がテーブルに並べられるわけですが、裁判官がどのような根拠で、裁判所が扱う利益をピックアップしているのかが不明だということです。

そして、特定された利益についても、どのような根拠で比較衡量の天秤にのせるのかがよくわかりません。

すなわち、天秤にのせられた利益が、なぜ天秤にのせられることとなったのかが不明なのです。

ですから、裁判官の主観に任される部分が多く、比較衡量法は客観的な審査基準論といえないのではないかという批判がなされます。

比較衡量を行う契機の不明確さ

第三の問題点は、比較衡量を行う契機が不明確であることが挙げられます。

例えば、違憲審査を行う際に、比較衡量を用いるべきなか、審査基準論的な比較衡量を用いるべきなのかについて、特に決まりがあるわけではありません。

ですから、どのような場合に比較衡量を用いることが望ましく、どのような場合に用いるべきではないのかが不明確です。

ところが、この比較衡量法については最高裁判所がよく用いる手段であり、違憲審査の際のメジャーな手法となっています。

ですから、比較衡量の際にどのような比較衡量を行うかということは準則化していく必要があるといえます。

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まとめ

・比較衡量・利益衡量とは?
対立する当事者の権利・利益を天秤にかけて、どちらがより重いかを判断する手法のこと

・憲法訴訟における比較衡量
→「人権の制約を行うことによって得られる国家的利益」と「人権の制約によって失われる利益」を天秤にかけ、違憲審査の結論を決める

・憲法訴訟における比較衡量の問題点
 ①「人権」の価値の軽視
 ②比較衡量法の根拠の不明確さ
 ③比較衡量を行う契機の不明確さ

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