【解説】ベラルーシとはどんな国?ルカシェンコ大統領による独裁政治

政治
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本記事では、ベラルーシとはどんな国なのか、ルカシェンコ大統領とはどのような人物か、わかりやすく解説します。

ベラルーシとは?

ベラルーシの地理

ベラルーシとは、東ヨーロッパに位置する内陸国であり、正式名称は「ベラルーシ共和国」です。

人口は、2020年1月現在で約940万人。

面積は、20万7,600平方キロメートルと、日本の約半分です。

首都は、国土の中央に位置する「ミンスク」です。

民族分布では、ベラルーシ人が83.7%を占め、次いでロシア人が8.3%、ポーランド人が3.1%、ウクライナ人が1.7%となっています。

ベラルーシの政治

ベラルーシの政治を率いているのが、アレクサンドル・ルカシェンコ大統領です。

ルカシェンコ氏は非常に強権的な政治手法をとり、「欧州最後の独裁者」との異名を持ちます。

ここからは、ルカシェンコ氏が強大な力を得るに至った経緯を追っていきます。

ルカシェンコ氏が大統領になるまで

1991年、当時の「ソビエト連邦」が崩壊し、ソ連を構成していた国々はそれぞれ独立国家としての道を歩み始めます。

「白(はく)ロシア」と呼ばれていたベラルーシも、同年8月25日に独立が承認され、「ベラルーシ共和国」と改められました。

しかし、独立直後はソ連の崩壊により、政治は腐敗、国民の生活は混乱していました。

そんな中、政治家たちの汚職を追求し、国民の支持を集めた人物がルカシェンコ氏でした。

ルカシェンコ氏は、「汚職追及委員会」の議長を務めた後、1994年に行われた大統領選挙に立候補、他の候補に大差で勝利します。

国民投票を経てベラルーシ共和国初代大統領に就任したルカシェンコ氏は、中国のような「社会主義市場経済」を導入したほか、ロシアとの関税同盟により、経済成長を実現させました。

憲法改正により独裁体制を確立

大統領に就任したルカシェンコ氏は、就任直後から自身の権力維持への取り組みを始めます。

それが「憲法改正」です。

1996年には、憲法改正により、ルカシェンコ氏の任期が引き延ばされたほか、「最高会議(立法府)」を二院制の体制に移行させます。

また、2004年の憲法改正では、大統領の三選禁止規定が削除され、長期にわたって大統領の地位にあり続けることが可能となりました。

1994年以降、ルカシェンコ氏からの権力移譲は全く行われず、現在も大統領としての地位を維持し続けており、在任期間はヨーロッパのなかでも最長です。

ただし、いずれの憲法改正の国民投票も透明性を欠くものであり、公正に行われたとは言えません。

政府批判の抑え込み

ベラルーシで権力移譲が起こらない理由は、前述のように公正な投票が行われていないことに加え、政府への批判が許されていないことにあります。

デモや集会には厳しい規制があるほか、政権や大統領を批判をすれば拘束され、自由な政治的意思を表明することはできません。

2020年8月に行われた大統領選挙では、対立候補のチハノフスカヤ氏が大差で敗れましたが、選挙結果が不正であるとして大規模な反政府デモが起こりました。

しかし、当局は、デモ活動に参加した多くの市民を拘束して反政府活動の鎮静化を図り、また、2021年にはデモ活動に対する報道を禁止する法律も制定させました。

東京五輪におけるチマノウスカヤ選手の亡命

ベラルーシに関するニュースで記憶に新しいのが、東京五輪において、ベラルーシの陸上選手が急遽亡命することになった件でしょう。

2021年7月、東京オリンピックが開会し、ベラルーシからは陸上女子のクリスチナ・チマノウスカヤ選手が出場する予定でした。

しかし、チマノウスカヤ選手は、これまで経験がない「1600メートルリレー」に急遽出場するよう、監督に一方的に決められてしまいます。

これに対し、チマノウスカヤ選手がSNS上で不満を発信。

すると、チマノウスカヤ選手は、突如帰国を命じられます。

しかし、帰国すれば無事でいられるはずもなく、身の危険を感じたチマノウスカヤ選手は、日本の警察当局に保護を要請。

2021年8月1日には羽田空港で帰国を拒否し、その4日後には亡命先のポーランドに到着するという、異例の事態が起こりました。

この件について、ルカシェンコ氏は、「彼女は操られないかぎり、そんなことはしない」と自説を展開し、反政権側による陰謀であると主張しました。

これに対し、チマノウスカヤ選手は「暴力と拷問、抑圧によってのみ権力を維持するような違法な大統領と話をすることは不可能だ」と述べ、対峙する姿勢を示しました。

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ベラルーシの外交

ベラルーシとロシアの関係

ベラルーシは、ソ連の崩壊によって独立を果たしましたが、現在でもロシアとのつながりは密接です。

ベラルーシとしては、経済成長のためにはロシアとの関係が重要であり、ロシアとしては、ベラルーシを西側諸国との緩衝地帯として維持しておきたいとの思惑があるからです。

特に、ロシア無くして経済成長が見込めないベラルーシにとって、ロシアの経済支援がルカシェンコ氏の権力維持には必要でした。

しかしながら、ベラルーシとロシアは、常に良好な関係にあるとは言えません。

ルカシェンコ氏としては、ロシアとの関係強化は重要である一方、ベラルーシがロシアの属国になることだけは避けたいとの考えを持っています。

ベラルーシは、ロシアの主導する「ユーラシア連合」に加盟し、国内経済の回復を目指しましたが、経済回復の兆しが見えなかったほか、2006年には天然ガスの価格引き上げをめぐっては、ベラルーシ・ロシア間で激しい対立が起こりました。

ただ、ベラルーシにとって、ロシアとの結びつきは大変重要であり、関係が悪化した時期がありつつも、現在ではロシアに接近する姿勢を見せています。

ベラルーシと中国の関係

ベラルーシは、これまでロシアとのつながりが強かったものの、近年では、中国との結びつきを強めています。

前述のとおり、ロシアとの関係では、ベラルーシの経済発展が見込めなかったほか、天然ガスの価格引き上げにおける摩擦が生じ、関係が悪化しました。

そこで、ルカシェンコ大統領は、近年目覚ましい発展を遂げる中国との関係構築を進めました。

ベラルーシ・中国間では「経済投資協定」を締結し、ロシア以外との経済的な結びつきを確立します。

これは、ベラルーシ側の「経済破綻は避けたい」という立場と、中国側の「欧州に進出したい」との、両者の思惑が一致したものでした。

また、軍事的なつながりも強く、中国製の武器購入や、兵器の共同開発を行うなど、密接な関係が続いています。

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