【解説】アフガニスタンとはどんな国?米軍撤退とタリバンの復権

政治
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本記事では、アフガニスタンとはどんな国なのか、また、米軍撤退とタリバンの復権についてわかりやすく解説します。

地理

アフガニスタンとは、中央アジア~南アジアに位置する内陸国であり、正式名称は「アフガニスタン・イスラム共和国」といいます。

人口は、2020年時点で3,890万人。

面積は、日本の約1.7倍です。

首都は北東部に位置する「カブール」であり、アフガニスタンの政治的な中心地です。

また、アフガニスタンは多民族国家であり、最大民族のパシュトゥーン人をはじめ、タジク人、ハザラ人、ウズベク人などで構成されています。

(アフガニスタンの大統領であるアシュラフ・ガニ氏はパシュトゥーン人)

イスラム教の国であり、このうち、スンニ派が人口の85%、次いでシーア派が14%を占めています。

政治・経済

アフガニスタンの政治史

混乱が続いたアフガニスタン

1973年、「アフガニスタン王国」は、クーデターによって共和制の国家(アフガニスタン共和国)へと移行します。

ところが、1978年には、人民民主党によるクーデター(サウル革命)が発生し、今度は社会主義政権が誕生します。

そして、1979年には、ソ連の軍事介入のもとで、カルマル政権が成立します。

1989年には駐留ソ連軍の撤退が完了しますが、その後の国内の支配をめぐって内戦が勃発、アフガニスタンでは混乱が続きました。

タリバンの勢力拡大

混乱が続く中、1994年頃より”ある集団”が勢力を伸ばし、支配地域を拡大していきました。

それが南部に現れ、イスラムへの回帰による秩序回復を訴える「タリバン」です。

タリバンの勢いを止めることはできず、わずか2年後の1996年には、首都カブールを制圧。

1999年には、国土の9割をタリバンが支配するまでに至りました。

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タリバン支配地域の奪還

2001年9月には米国同時多発テロ事件が起こります。

テロの首謀者は、イスラム過激派テロ組織である「アルカイダ」の指導者オサマ・ビン・ラディンであるとされました。

しかし、タリバンはビン・ラディン容疑者をアメリカに引き渡すことを拒否します。

そこで、アルカイダを匿うタリバンに対し、同年10月には米英主導の軍事行動を行います。

同年11月には「北部同盟」が首都カブールを制圧、12月までにタリバンが支配する地域を奪還することに成功します。

これにより、暫定政権としてカルザイ氏を首相とする共和制の国家が新たに誕生しました。

アフガニスタンの政治・経済

現在のアフガニスタンは、2004年に公布された憲法をもとに共和制を採用し、国家元首としての大統領が存在します。

2004年に行われた第1回の大統領選挙においては、暫定政権の首相であったカルザイ氏が大統領に就任し、2014年にはカルザイ氏からガニ氏へ民主的な政権交代が実現します。

しかし、表面上は民主化が進んだものの、決して安定したものということはできませんでした。

特に、政治の腐敗はたびたび指摘され、政権に対する国民からの信頼はありません。

アフガニスタン軍においては、不十分な装備や給与の未払いが横行しているため、軍の士気が高くないとの指摘もあります。

また、経済面においては、度々混乱が起こっていることから壊滅的であり、国家予算の約7割を国際支援に依存している状況です。

ただ、民主政権になったことで人権状況は改善、日本も援助に積極的な姿勢を見せていました。

共和制国家としての道を歩みだしたアフガニスタンでしたが、2021年、事態は急変します。

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米軍撤退と政府崩壊

アフガニスタン政府は軍事面でも米軍に依存し、「テロとの戦い」の名の下、タリバンとの間で20年間にわたって戦争が続いていました。

そして、この戦争の中で、米兵は2300人以上が命を落としました。

これについて、アメリカ国内では米軍の撤退を求める声も多く上がり、「無意味な戦争だ」との見方が広がっていました。

そこで、2020年、アメリカのトランプ前大統領はタリバンとの間で「和平合意」に署名し、アフガニスタンからの米軍の完全撤退を決めました。

この合意の中では、米軍が14カ月以内にアフガニスタンから完全に撤退するのと引き換えに、タリバンが国内でアルカイダなどのテロ組織の活動を許さないことなどが定められました。

そして、2021年4月、アメリカのバイデン大統領は、9月11日までにアフガニスタンから米軍を完全に撤退させることを発表しました。

この背景には、「米軍が撤退しても、アフガニスタン政府軍は持ち堪えられるだろう」との認識があったからです。

(アフガニスタン軍の人員は30万人に対して、タリバンは6万人程度。)

しかし、その見通しは甘く、米軍が現地からの撤退を進める中、タリバンは主要都市を次々と制圧していきました。

そして、同年8月15日には首都カーブルにある大統領府を掌握し、タリバンは全土を支配下に置いたことを宣言しました。

これにより、ガニ氏率いる民主政権はあっけなく崩壊し、タリバンが20年ぶりに復権することとなりました。

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