インターネットが登場する以前、ニュースを知る手段は、テレビや新聞が中心でした。
しかし、インターネットの登場により、情報はインターネットで取得するのが主流となりました。
特に、若い世代は、テレビ・新聞を見ない者も多く、情報の入手先が完全にインターネットである人もいます。
では、このような時代に、マスメディアは本当に必要なのか、検討していきたいと思います。
マスメディアの現代的役割
よく、「マスメディアの情報は、インターネットの情報よりも信頼できる」という人がいます。
確かに、マスメディアの情報のほうが正確性は高いでしょう。
情報発信に際しては、きちんと裏をとり、何度も校正をかけ、複数人で精査したうえで情報を流していることが保障されているからです。
しかし、マスメディアは、時に、偏った内容の情報を発信し、あるいは、拡散されたくない事実を報道しないこともあります。
ですから、マスメディアのほうが、インターネットよりも情報の正確性が高いにしても、マスメディアの情報だけを信じ込んでしまうことは危険です。
特に、近年は、共同通信の印象操作や、朝日新聞の「メタタグ問題」など、マスメディアの信頼を失墜させるような行動が多く見られます。
では、インターネット時代にマスメディアは必要なのでしょうか。また、どのような役割を果たすべきなのでしょうか。
マスメディアは必要?
これまで、マスメディアは「表現の自由」を牛耳っていました。
裏を返せば、私たちは、マスメディアからしか世の中の情報を得ることができませんでした。
しかし、インターネットの登場により、誰もが表現の自由を行使できるようになり、マスメディアによる「情報のゲートキーパー的役割」は失われたといえます。
では、現代において、マスメディアの役割・存在意義は何なのでしょうか。
それは、情報の正確性を担保する役割でしょう。
より具体的に言えば、マスメディアは、「単なる表現の自由を行使する役割から、情報の正確性を担保する役割に移った」といえます。
そして、その意味において、マスコミの存在意義はあり、その意義が現代的なものに移り変わったのだと思います。
どういうことでしょうか。図を用いながら解説します。

インターネットが登場する以前は、情報の発信元は、テレビ・新聞・雑誌などしかありませんでした。
ですから、誰もが自由に発信できる世の中にはなっておらず、テレビ・新聞・雑誌などを介して、はじめて情報が発信できる時代でした。
これは、言い換えれば、「表現の自由」はマスメディアを介することによって、はじめて実を伴うものだったのです。
これが、前述の「情報のゲートキーパー的役割」を意味します。
つまり、マスメディア自体が、私たちの表現の自由を行使するうえで、非常に重要な役割を発揮していたのです。
しかし、現代はそうではありません。
今は、インターネット、特にSNSを通じて、誰もが自由に発信できるようになりました。
ですから、当然、表現の自由を行使するうえでのマスメディアの役割の重要性は、相対的に下がります。
かといって、マスメディアがなくなってもよいかといえば、そうではありません。
マスメディアは、インターネットの情報と違い、いまだに情報の正確性の面では上回っています。
ですから、不正確・不確実な情報が蔓延るインターネット上では、情報の正確性の重要性は相対的に上がります。
ここに、現代におけるマスメディアの存在意義があるといえますし、信頼できる情報源としての役割が、インターネットの登場により再度確認させられるものとなったのです。
マスメディアのインターネット進出
近年、マスメディアのインターネット界への進出が目立ちます。
これは、非常にポジティブな傾向とみてよいでしょう。
なぜなら、信頼できないソースよりも、信頼できるソースをもとに議論が展開されることが、適切な民主主義社会の運営にとってのぞましいからです。
例えば、産経新聞社のTwitterや、テレビ東京のYouTubeチャンネルなど、各メディアがSNS等を通じて発信しています。
そして、それらの情報は、インターネット上で浮上した情報よりも、明らかに正確性は高く、信頼できるものだといえます。
正確性の低い情報があふれるインターネット時代だからこそ、「より安価に、より正確な情報を、より早く」知る手段として、インターネット界でもマスメディアは存在感を高めています。
マスメディアは不要ではなく、不正確・不確実な情報が蔓延る現代だからこそ、むしろ必要とされているのではないでしょうか。
マスメディアへの過度な反発
マスメディアの「偏向報道」や「印象操作」に対し、疑問を持つ人も多く存在するでしょう。
そして、そのようなマスメディアの問題点に対し、インターネット利用者の、マスメディアに対する「攻撃」を見かけることがあります。
「朝日新聞は廃刊しろ」といった意見は、インターネット上でもたびたび見られます。
しかし、この意見は、あまりに過度な反発ではないでしょうか。
マスメディアの問題点を指摘するだけならまだしも、その域を超え、マスメディア自体を消し去ろうとしているからです。
これでは、せっかくインターネットの登場により「表現の自由」の効果が最大化されたにもかかわらず、それに逆行するような事態となりかねません。
「言論」への対抗は「言論」であるべきであり、そのような一連の議論の上で成り立つのが「民主主義」です。
ですから、「言論」ではなく、「その表現主体そのもの」を抹消しようとするのは、民主主義の否定となりかねず、非常に危険です。
マスメディアに対する不信感が高まっていることはわかりますが、あくまで「言論」へは「言論」で対抗し、表現主体をつぶそうとする試みは自制する必要があるでしょう。
まとめ
・マスメディアは必要。ただ、インターネットの登場でその役割が変わった
・「言論」への対抗は「言論」であるべきであり、「表現主体そのもの」を抹消しようとする過度なマスコミ叩きには警戒する必要がある