テレビの偏向報道が許されない理由をわかりやすく解説【表現の自由】

憲法
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近年、「あのテレビ局は偏向報道をしている!」といった意見をよく耳にします。

では、なぜ、偏向報道は問題になるのでしょうか。

私たちには「表現の自由」が認められており、マスメディアも表現の自由の享有主体といえます。

「表現の自由とは何か」については、別記事で解説しています。

そこで、本記事では、なぜテレビの偏向報道が許されないのかについて、憲法の観点から検討していきます。

偏向報道が許されるメディアと許されないメディア

・印刷メディア:自由な言論活動を保障

・放送メディア:あらゆる規制を設ける

私たち国民には、日本国憲法第21条によって「表現の自由」が認められています。

そして、マスメディアも、表現の自由の享有主体であるといえます。

なぜなら、法人についても人権享有主体性が認められるためです。

法人にも憲法上の人権が保障されるのかが問題となった八幡製鉄政治献金事件において、最高裁は、以下の見解を示しています。

八幡製鉄政治献金事件最高裁判決(最大判45・6・24)
「憲法第3章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されると解すべき」

このように述べ、性質上可能な限り、法人であっても人権は保障されるとの立場を示したのです(権利性質説)。

(※法人の人権享有主体性については、別記事で詳しく解説しています。)

ところが、テレビやラジオなどの電波メディアについては、「放送法」という法律によって、他国と比較しても厳しい規制が存在しています

例えば、以下のような規制が存在が挙げられます。

【放送法第3条の2】
番組編集準則(放送法第 3 条の 2 第1項)
放送番組の編集に当たって、
「公安及び善良な風俗を害しないこと」
「政治的に公平であること」
「報道は事実をまげないですること」
「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」

番組調和原則(放送法第 3 条の 2 第 2 項)
テレビ放送の番組編集に当たって、教養又は教育、報道、娯楽の各番組を設け、相互
の調和を保つこと。

番組基準制定義務(放送法第 3 条の 3)
放送番組の種別及び放送の対象とする者に応じて番組基準を定め、これに従って編集
をすること。

放送番組審議機関の設置義務(放送法第 3 条の 4)
放送番組の適正を図るため、放送番組審議機関を置くこと。

『放送番組の規制の在り方』http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/kiseiArikata.pdfより引用

このように、電波メディアについては、放送法による厳しい規制が存在しています。

一方、新聞や雑誌といった印刷メディアについては、特別な規制は設けられていません

では、なぜ、電波メディアには表現の自由への厳しい規制が認められているのでしょうか。

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電波メディアへの規制の根拠(従来)

電波メディアへの規制が許される根拠については学説が複数存在しています。

ここでは、従来から主張される学説から検討していきます。

電波公物論

電波公物論とは、「公物である電波を特権的に使わせる代わりに、公益性の観点から規制が正当化される」という考え方です。

公物とは、「みんなの物」であるということです。

要するに、「電波はみんなの物だが、テレビ局に特別に使わせてあげている。したがって、その代わりに、公益の観点から規制は正当化されるよね。」というのがこの立場です。

ただし、電波が「公物」であるという点については、否定的な意見が多く存在します。つまり、「公物」とは、「公園」や「水」といった類のものであり、「電波」については、ただ拾って使っているだけではないのかといった批判もなされます。このことから、この説はあまり支持されていません。

電波の特性論(多数説)

電波の特性論とは、「電波の有限希少性衝撃性の観点から、規制が正当化される」とする考え方です。

有限希少性」とは、使える範囲が限られているということです。

例えば、AMラジオであれば、9kHzの間隔を空ける必要があります。

衝撃性」とは、電波メディアの特性上、音や映像によるため、受け手にとっての衝撃が強いということです。

つまり、本などの印刷媒体であれば、意図的に見ようとする必要がありますが、電波メディアは意図せずとも目や耳に入ってくるものであるため、衝撃はより強いものとなるといえるでしょう。

近年は、電波メディアの多チャンネル化が進み、電波に「有限希少性」があるとはいえないのではないかという批判があります。衛星放送やケーブルテレビの登場により、電波の特性論の説得力は弱まったものといえるでしょう。

番組画一化説

番組画一化説では、「営利主義から生じる、大衆受けする放送への画一化」を規制の根拠とします。

すなわち、民放にとっては、番組の視聴率が最も重要です。

番組の視聴率が高ければ高いほど、テレビ局の収入が増える仕組みになっているからです。

しかし、そうであるとすると、テレビ局はより多くの層に見てもらえるよう、大衆受けするような番組ばかりを作るようになる恐れがあります。

規制がない場合、あらゆるテレビ局が似たような番組ばかりをつくるようになってしまう恐れがあることから、電波メディアについては規制を設け、多角的な内容となるようにしていると考えるのがこの説になります。

しかし、この説をとったとすると、NHKに対して放送法で規制を設けていることへの説明がつきません。

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電波メディアへの規制の根拠(近年)

以上の学説に加え、ここからは近年主張される、規制根拠論をご紹介します。

部分規制論

部分規制論とは、「印刷・放送の双方が自由あるいは規制を受けるよりも、印刷を自由・放送に規制を加えることで、相互制約的な関係によって表現の自由にとってより望ましい結果となる」ことを根拠とします。

すなわち、まず、先ほども説明した通り、現在は印刷は自由である一方、放送には厳しい規制が存在します。

部分規制論では、この「印刷は自由・放送には規制」という状況が、印刷と放送の双方が自由であったり、印刷と放送の双方に規制がかけられる状況よりも、表現の自由にとって望ましいと考えます。

印刷も放送も自由であるほうが表現の自由にとって望ましいように感じられますが、この学説では、印刷・放送の一方を規制することこそが表現の自由にとってよりよいと考えるのです。

なぜでしょうか。

それは、一方を自由とし他方に規制をかけることで、相互制約的な関係が生じ、自由や規制が行き過ぎないようになると考えるからです。

規制が存在する放送メディアですが、その規制が厳しすぎる場合、それは表現の自由にとって問題が生じますから、印刷メディアを水準とし、規制が行き過ぎてしまうことを防ぎます。

一方、自由である印刷メディアにおいても、放送メディアを水準とすることで、その自由が行き過ぎてしまうことを防ぎます。

綱引き」をイメージしていただくとよいでしょう。

自由や規制が行き過ぎないように、自由である立場から印刷メディア、規制されている放送メディアが綱引きをします。

綱引きが行われることで、結果的に、自由や規制が行き過ぎことを防げるというのです。

基本的情報公平提供論

基本的情報公平提供論では、「放送メディアは、基本的情報を伝達するにあたって最も優れた特性を持っており、基本的情報が公平・低廉に提供され、情報の公平性・多様性確保のために、規制が正当化される」との考え方をとります。

確かに、私たちが、ある事件に対して何らかの意見を持つにしても、ある程度の基本的な情報がなければ、自分の意見を持つことすらできません。

その、基本的情報を入手するのに、最も優れた特性を持つのは放送メディアであるといえるでしょう。

ですから、基本的情報が公平かつ安く提供され、情報の公平性・多様性が確保されるために、放送メディアへの規制が正当化されると考えるのです。

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まとめ

・印刷メディア:自由な言論活動を保障
・放送メディア:あらゆる規制を設ける

◎放送メディアへの規制の根拠(従来)
電波公物論
電波の特性論(多数説)
番組画一化説

◎放送メディアへの規制の根拠(近年)
部分規制論
基本的情報公平提供論

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