【図解あり】砂川事件をわかりやすく解説(伊達判決・統治行為論)

憲法判例
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本記事では、砂川事件の概要と裁判所の判決(東京地判昭和34年3月30日・最大判昭和34年12月16日)について解説します。

事案の概要

1955年、在日米軍は日本政府に対し、立川基地の拡張を求めました。

この基地拡張の工事の話を聞いた砂川町(現:立川市)の住民は、立川基地の拡張に反対する「砂川基地拡張反対同盟」を結成、「基地拡張反対総決起大会」が開かれます。

これが、「砂川闘争」の始まりです。

1957年7月、政府は強制測量を実施しましたが、これに対して、米軍基地の拡張に反対するデモ隊が阻止を試みます。

このうち、デモ隊の一部が、柵を壊し米軍の敷地内に侵入したとして、日米安保条約に基づく特別法によって逮捕・起訴されました。

しかし、デモ隊側は、そもそも安保条約自体が憲法第9条第2項に違反するため、安保条約に基づいて規定された本法律も違憲であることから、無罪であると主張しました。

1:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本国憲法第9条

本件は、日米安保条約に基づく駐留米軍が「戦力」に該当するか否かが争点となった、大変有名な判例です。

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裁判所の判断

・東京地裁判決:米軍駐留は「戦力の保持」に該当する(伊達判決
・最高裁判決:統治行為論(条件付)を展開

東京地裁判決(第一審)

これについて、東京地裁は、駐留米軍が憲法第9条第2項によって禁止される「戦力の保持」に該当するとの判断を下しました。

「わが国が外部からの武力攻撃に対する自衛に使用する目的で合衆国軍隊の駐留を許容していることは、指揮権の有無、合衆国軍隊の出動義務の有無に拘らず、日本国憲法第9条第2項前段によつて禁止されている陸海空軍その他の戦力の保持に該当するものといわざるを得ず、結局わが国内に駐留する合衆国軍隊は憲法上その存在を許すべからざるものといわざるを得ない」

すなわち、日米安保条約に基づく駐留米軍は憲法違反であり、デモ隊の行為は無罪であるという結論を示します。

これは「伊達判決」と呼ばれ、検察側は、直ちに最高裁判所へ跳躍上告します。

最高裁判決

最高裁判所においては、「統治行為論」が展開され、第一審の判決を覆すこととなります。

統治行為論とは、高度に政治的な問題については、法律上の争訟として判断が可能であったとしても、裁判所が審査を行うべきではないとする理論のことです。

一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。」

すなわち、日米安全保障条約のような高度に政治的な問題が絡む場合、基本的には裁判所が判断を行うべきではないとの立場を示します。

これは、明確に「日米安保条約が違憲だ!」と述べた第一審判決とはまるで対照的です。

ただし、ここで注意しておく必要があるのは、裁判所が「純粋な統治行為論」を展開したわけではないという点です。

裁判所は、統治行為論を採用するにあたっては、「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは」という前提をつけています。

つまり、逆に言えば、一見極めて明白に違憲無効であるとすれば、裁判所は審査をする場合があることを示唆しているといえます。

(※統治行為論については、別記事で詳しく解説しています。)

このように、条件付きではあるものの「統治行為論」を展開し、裁判所は審査をしないという立場をとりました。

そして、その後の差戻審において、デモ隊の有罪判決が確定しました。

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