「基本権保護義務論」とは何か?わかりやすく解説

憲法
スポンサーリンク

本記事では、憲法の人権規定の「私人間効力」の議論について、ドイツにおける理論を紹介します。

そもそも「私人間効力」とは何か?や、日本国内における私人間効力の学説・判例については、別記事で解説しています。


憲法というのは、あくまで国家を縛る役割があるものです。

ですから、憲法はあくまで「国家」対「私人」の関係を想定したものとなっています。

しかし、時代の変化とともに、憲法を「私人」対「私人」の関係でも適用できないかが議論されるようになっていきます。

(詳しくは、「なぜ憲法の人権規定の私人間効力が問題となるのか?」で説明しています。)

本記事では、「私人間効力」の議論の中でも、ドイツにおける「基本権保護義務論」を見ていきたいと思います。

基本権保護義務論とは?

・国家は、私人間での人権侵害的状況を、立法政策により予防・救済する義務があるとする考え方。

・そのため、私人間の人権侵害的状況が発生したときに、国家の立法不作為が違憲であると主張できる

基本権保護義務論とは何か

憲法というのは、「国家」対「私人」の関係における適用を想定したものであるというのは、前述のとおりです。

そして、「私人」対「私人」の関係で適用できるようにするために、様々な理論が展開されてきました。

そこで、ドイツで展開されたのが、「基本権保護義務論」です。

基本権保護義務論では、憲法を「私人」対「私人」の関係で適用させるというよりは、私人間での人権侵害的状況を、法律をつくり予防・救済する義務があるとする考え方をとります。

法律を作り、人権侵害的状況の発生を予防するのは、立法府の役割になります。

一方、人権侵害的状況が発生し、それを救済するのが司法の役割になります。

これにより、私人間での人権侵害的状況は法律によって禁止され、その法律をもとに救済されるため、憲法を私人間に適用せずとも、法律によって人権侵害的状況を回避・救済できるのです。

基本権保護義務論の根拠

では、なぜ、基本権保護義務論では、国家に私人間での人権侵害的状況に対する予防・救済義務があると考えるのでしょうか。

その根拠は、憲法によって求められる国家の義務だと考えられるからです。

これについては、憲法上で明記されているわけではありませんが、解釈上、そのように捉えられています。

立法不作為の主張

前述のとおり、基本権保護義務論では、立法府は、私人間での人権侵害的状況を憲法によって予防することが義務付けられていると考えます。

ですから、立法府は、私人間であっても人権侵害的状況が発生しないように努める必要があります。

一方、立法府が私人間での人権侵害的状況を予防しない場合、国家はその義務に反したこととなります。

この説の大きな特徴として、私人間において人権侵害的状況が発生してしまった場合、私人は国家に対して「国家の立法不作為であり、違憲である」と主張できるところにあります。

すなわち、予防義務に反したことを根拠に、国家に対して、私人間での人権侵害的状況においても「違憲だ」と主張できるのです。

スポンサーリンク

過少保護の禁止と過剰介入の禁止

立法府は、私人間での人権侵害的状況を予防する義務があるといいましたが、その保護措置では最低限の保護すら与えられない場合があります。

その場合、裁判所が政府機関として保護する義務を負うと考えます(過少保護の禁止)。

ただし、その場合であっても、その保護によって加害者の基本権を過度に侵害してはいけません(過剰介入の禁止)。

この2つの禁止にあたらないようにしながら、加害者・被害者の基本権の法益を衡量して解決を試みます。

ただし、あらゆる権利・人権にこのような義務を認めてしまうと、かえって人権の不当な制限を招くこととなりかねないというデメリットもある。

まとめ

・基本権保護義務論とは何か?
→国家は、私人間での人権侵害的状況を、立法政策により予防・救済する義務があるとする考え方。
そのため、私人間の人権侵害的状況が発生したときに、国家の立法不作為が違憲であると主張できる

・立法府の保護措置で足りない場合、裁判所が政府機関として保護する義務を負う。
→ただし、この場合、過少保護の禁止と過剰介入の禁止にあたらないようにしなければならない

タイトルとURLをコピーしました