近代立憲主義以降の憲法について研究する上で、その前提となるのは「自然権思想」です。
そして、この「自然権思想」を理解しないことには、憲法を語ることはできません。
そこで、今回は、近代立憲主義憲法の大前提である「自然権思想」とはどのようなものなのか、「社会契約」とは何かについて検討していきます。
「自然状態」・「自然権思想」とは何か?
「自然権思想」の話に移る前に、「自然状態」について理解する必要があります。
まずは、「自然状態」とは、どのような状態のことを指すのか、見ていきましょう。
自然状態とはどのような状態か?
自然状態とは、政府が存在しない状態のことを指す。
まず、議論の出発点にあるのは、造物主である「神」の存在です。
これには、違和感を覚える方もいるかもしれませんが、これは自然権思想の発祥がヨーロッパであるためです。
政府の存在しない世界で、神によって人がつくられた世界観をイメージしていただければと思います。
しかし、おそらく、その世界観は人によって異なるでしょう。
「自然状態」は、戦争状態?それとももっと平和な世界?
人によってそのイメージはバラバラだと思います。
実際、当時のヨーロッパでも、「自然状態」がどのような状態だったのか、その考え方は異なっていました。
例えば、ホッブズは、自然状態を「万人の万人に対する闘争」状態だとしましたが、ロック・ルソーは、より温和な自然状態をイメージしていました。
ただ、いずれにせよ、この議論の出発点にあるのは、「自然状態」という仮定の世界観だということがお分かりいただければよいと思います。
自然権思想とは何か?
自然権思想とは、人は生まれながらにして自由かつ平等であり、生命や財産についての「自然権」を有するとする思想のこと。
近代立憲主義憲法の根底にあるのは、「自然権思想」です。
造物主・神によって「自然状態」のもとに生まれた「人」は、生まれながらにして自由かつ平等であり、生命や財産についての「自然権」を有すると考えます。

この考え方が、近代立憲主義以降の「人権」という考え方の根底にあります。
日頃、「人権」という言葉はよく耳にしますが、その思想の起源は「自然権思想」だったわけです。
社会契約とは?
「自然権」を自分一人で守ることは不可能→そこで、自然権を守るために「国家」と「社会契約」を結ぶ
「自然権思想」が「人権」の根底にあったことはご理解いただけたかと思います。
しかし、自然権を守ることは簡単ではありません。
なぜなら、我々の自然権を脅かす「悪い人」が必ず存在するからです。
現代の世の中でも、強盗や殺人がたびたびニュースに取り上げられたりします。
このような、私たちの自然権を脅かす「悪い人」から、私たちは自然権を守り抜くためにはどうすればよいのでしょうか?
その答えとして、「国家をつくり、国家に私たちの自然権を守ってもらう」ことが挙げられます。
そのために、私たちは、国家と「社会契約」を結ぶことを考えました。

つまり、近代立憲主義の考え方にのっとれば、「国家は、私たちの自然権保護のためにある」ということができます。
抵抗権・革命権
国家が、自然権を守るという「社会契約」に反した場合には、人々は政府に抵抗する権利がある。
国家が、人々の自然権を守るためにつくられたものである以上、国家が社会契約に違反する場合、人々は抵抗することができると考えます。
この考え方が「抵抗権」や「革命権」という考え方です。
社会契約に違反する状態とは、国家が人々の自然権を保護しない状態、あるいは、国家が自然権を侵害する状態のことを指します。
このような状態となれば、国家は、自然権を守るという役割を放棄したといえますから、人々はそれにわざわざ従う必要はないと考えるのです。
まとめ
・自然状態とは、政府が存在しない状態のこと。
・自然権思想とは、人は生まれながらにして自由かつ平等であり、生命や財産についての「自然権」を有するとする考え方のこと。
・社会契約とは、自然権を自分一人で守ることは不可能であるため、自然権保護を国家に委ねる契約。
・国家が、自然権を守るという「社会契約」に反した場合には、人々は政府に抵抗する権利がある。